2011年1月17日月曜日

「ここは何処、わたしは誰」 抹殺されても 9

・・・・・ソ、ソォォォォォォォォォォ・・・・・
・・・断面の重心は恐れ戦慄きながら恐々と片膝、入れる。
寝床から起き出ての自由だった昼間の時間が焼き付けた箱庭な盆石を信頼する摺り足にて景を縒り合わせ、あまり一遍にふんだくらずに爪先を立ててにじり寄る、歩一歩の現実世界へと本影に斬りつける・・・
・・・順番通りに、世の中一般に通じる物事の在るべき筋道を突き進む・・・
・・・コトッ、
もう、なんてことない平面が鎮静剤となって歩幅を左右してくれれば、
・・・ほっ、一呼吸、休める。
暗黒面からの縦振動が攻めすくめたって単なる溜め口の百面相だと、腑抜けの常套手段で思って思わぬ振りの頬かむりを決め込む静止は安らかにフランス映画な倦怠感を引き寄せる。

・・・・・ほわっ・・・・・解放の紫煙を吸い込む続けられる肺活量ぽっきりの短編映画、
どうにもならないと思える中ほども刻限待ちの刹那主義は雪洞だ明星だと身体を寄せ合って戯れ、意味深な太陽の日を選り取り見取りにした石火の光で情を交わす。
燃焼し尽くす、あっぱれな爪の七月七日夜の星合いばむ一つ星に枯れた視力から、
何処に流されたのか何事なのか〝なんじ自らを知れ〟は禍々しいが、うだつの上がらないまま、
「思い切って如何されるんだか位には睨み合わせられる知力は持つだろう」
数珠に百八夜参りもで心の迷いから魚の着ぐるみを纏う無口な生き仏で気張る、も・・・・・
・・・・・っう、・・・

そら、地面には二本あるでしょ、目から鼻へ抜けるに決まっているスタンスが理科の実験台的な首尾に出来映えも切羽で堪能しなければならない一寸ぽっちで、肺臓は満杯になっている。
つまるところ生命の感情を吹き染むより一足先に、
節度を切らす視覚は悶え死ぬんだ。





(【夏下冬上】のブログに09年12月02日に投稿していた分を移しました)
                                         

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