2011年1月16日日曜日

冥界の眼窩へと 8

視力ゼロの世界だ。なぁーんにも見えない。目を開けているのかどうかさえ分からない。
乱痴気な眼窩に冥界への升席で畳み掛けられた全身を、風と雲の自然をさすらう旅に出る心に、青葉の茂った陰やら苔を伝わり流れる清水やら何やら未だ不明の声と響きが、追究の連作は可能な夢幻泡影に共鳴ものの接線にて生湿らせてくれるんで、あそこやあそこから爛々たる眼火の顕微鏡的にも言い触らして威す生殺しの観察力さえ、これって空ある限りに雲の波路に一つになって深くて大きな真っ暗闇をより強固に画竜点睛し合う、哺乳類ならではのショック療法だ。なんぴともが理解できる、これこそ眼科な真心の色音だと烏の濡れ羽色に気弱でも催眠剤で、矛盾でも画定させた腹の中は違和感で強がれそう、な気が。
だが、葬儀社ものな敵も然る者。テントウムシやウスバカゲロウの大発生に近似して意識を取り仕切る。緊密さ百八十度転換して、潮の目つく補強さえ破裂させて魔境を浮かした無限大な天地創造説にどんどん調子に乗って膨れ上がりやがった。

ひらりしゃらり、全盲は手を動かして体全体に折れ込ませた幽かでも生命力で吹き込ませた夜風やら、瞼に命じたシャッター音の開け閉めも態とも飽きる刺激やらは感覚器官からの応答で捻り出せたんですが、ぼんやりと白ばみ、とろんと白ける。これはさて実録物へと霊妙な丑雨で滲ませつつ、肝を冷やしに躓かせるのは写実主義なのか、これぞ先回りして霊界を煽る蜘蛛の巣なのか、天眼からも見放された視力検査のゼロは欠如なき乱れ髪そぞろな嗚咽にて、ひたすら黙する。
はらはらと心動かし焦っても吊るし上げは改変してくれず、こまごまと縦横無尽に纏わりつかれる。身じろぎさえ及び難く絡み取られる。西郊から行き交う夕色にも先にから木訥な脂汗は、謎かけも寓話ものへのハミングで豪胆に宿主を食らう。







(【夏下冬上】のブログに09年11月20日投稿分を移しました)                                          

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