2011年1月19日水曜日

ささやく影あり 11

           
うぞ震う虚脱感の臓物から
仮眠って感じに点っていた胸の月が一炷
降ったり止んだりの滞在よろしく振る舞う

冬に夜に陰気な雨に余暇に
・・・ちゃぷちゃぷ・・・
聞いて心を奪われている

恥ずかしげに五臓六腑ゆれ動く肉だの色艶干し上がると
繰り返して仕掛けられた心の耳に波寄る声柄が砂嵐な潮騒が
生き血を啜る腕先やら足裏で絞り込む耳鳴り
漕ぎ巡った渾身のの激浪もは顔面を内裏にうねくる

このように笑みて気前を見せて張り合う回廊には
細波の
ねじり合わせた境目の刺激にて鼓動する人魚
体躯より脂肪分って鮮血を佩き
喉の奥から搾り出すような声そのものに

「あなた」モノささやかす





(【夏下冬上】のブログに09年12月31日に投稿していた分を移しました)

久しぶりだと酒を食べトイレ立つお正月の匂い故郷

明けましておめでとうございます

2010年もよろしくお願いします。

もうすぐ十三回忌という年の二月、執筆中の旨だけを姉妹の後見人を含めた数人の方にだけ手紙でお知らせしていた。
中学国語どころか句読点まで喪失してしまった上に外国っ子との束の間でも生活で文法をもこんがらせた脳細胞ではまだまだ何年も掛かる〈椿灰〉どころか書き上げられるのかどうかさえ分からない〈夏下冬上〉の為、風説の嘲笑と屈辱に疑問符だけでも投げて、病床にある伯父の名誉から早急に回復させねばならない必要に迫られたからです。
本は愛弟子の娘が言ってくれた心に残る、純粋で穢れない無垢な心根を裏切らない結果で完結させなければいけない。
途中、祖母から情を受けた先生に伯父から伯母、立て続けに亡くなられてしまった。

人生、守りに入ってはならなかった。
記憶喪失なんてのの所為にしてはならない。健忘症でも何でも良いがそうなること自体が、
「ここは何処、わたしは誰」
なんて自分を自分で作ってしまったんだ。



                 
   灯を拗ねて浮世は夢よ幻よ悔し涙も仇討ちできぬ

                  

なんてのは自己満足、倒錯、いや陶酔に過ぎない。



〈28のままに・椿灰・・・裏千家師範のクララは逝った〉〈事実は映画よりも奇なり〉〈夏下冬上〉
体験談はマネキンの、指紋みたいに余分な表現手段から汗みたいに奇異な伝達方法には非ず、目覚まし時計の耳障りな音に圧す出っ張りみたいに、生活には必要不可欠な糧です。
(タイトルの酒は“ささ”と読みます)





(【夏下冬上】のブログに10年01月01日に投稿していた分を移しました)

2011年1月18日火曜日

「あなた」 10

             
顎が外れてシャレコウベになった身を捨てる。
雲煙りとなすが如く吐き寄せ、
順序を追って気息奄々となりながらも命を瞬間に呵す。

ムラサキの匂いにも深い花を探して狩りたくっても、
キャンパス・ワークは黒焦げに行方を晦ませたなり、
なぁーんにも見えなくされている。
これっぽっちで思い足らさねばならない、
すすり泣きたい感情を雄色に焦点を外して宥め、
しゃっくりでも好適の地の揺れ幅だからと強引に煙草を、
「燻らかせてるんだ」
なる手づるを捏ね繰り回して潜り抜けなければ、
嗤う昏冥も怒号じみた傲慢無礼な黒装束の霊鬼によって、
生き腐れへと、
道でも後れを取ってしまう。

なんとかするさ、
サ、ササァ、・・・ヒュン。

風を食らう雲を畳んで鼻を噛め・・・
太陽の質の体験を杖に、
ビシバシ、

海人の両手肩に風間へと斬り込み、
活動できる度合いで傾けた立体感に、
色彩感覚から探検し始める。







(【夏下冬上】のブログに09年12月21日に投稿した分を移します)

2011年1月17日月曜日

「ここは何処、わたしは誰」 抹殺されても 9

・・・・・ソ、ソォォォォォォォォォォ・・・・・
・・・断面の重心は恐れ戦慄きながら恐々と片膝、入れる。
寝床から起き出ての自由だった昼間の時間が焼き付けた箱庭な盆石を信頼する摺り足にて景を縒り合わせ、あまり一遍にふんだくらずに爪先を立ててにじり寄る、歩一歩の現実世界へと本影に斬りつける・・・
・・・順番通りに、世の中一般に通じる物事の在るべき筋道を突き進む・・・
・・・コトッ、
もう、なんてことない平面が鎮静剤となって歩幅を左右してくれれば、
・・・ほっ、一呼吸、休める。
暗黒面からの縦振動が攻めすくめたって単なる溜め口の百面相だと、腑抜けの常套手段で思って思わぬ振りの頬かむりを決め込む静止は安らかにフランス映画な倦怠感を引き寄せる。

・・・・・ほわっ・・・・・解放の紫煙を吸い込む続けられる肺活量ぽっきりの短編映画、
どうにもならないと思える中ほども刻限待ちの刹那主義は雪洞だ明星だと身体を寄せ合って戯れ、意味深な太陽の日を選り取り見取りにした石火の光で情を交わす。
燃焼し尽くす、あっぱれな爪の七月七日夜の星合いばむ一つ星に枯れた視力から、
何処に流されたのか何事なのか〝なんじ自らを知れ〟は禍々しいが、うだつの上がらないまま、
「思い切って如何されるんだか位には睨み合わせられる知力は持つだろう」
数珠に百八夜参りもで心の迷いから魚の着ぐるみを纏う無口な生き仏で気張る、も・・・・・
・・・・・っう、・・・

そら、地面には二本あるでしょ、目から鼻へ抜けるに決まっているスタンスが理科の実験台的な首尾に出来映えも切羽で堪能しなければならない一寸ぽっちで、肺臓は満杯になっている。
つまるところ生命の感情を吹き染むより一足先に、
節度を切らす視覚は悶え死ぬんだ。





(【夏下冬上】のブログに09年12月02日に投稿していた分を移しました)
                                         

2011年1月16日日曜日

冥界の眼窩へと 8

視力ゼロの世界だ。なぁーんにも見えない。目を開けているのかどうかさえ分からない。
乱痴気な眼窩に冥界への升席で畳み掛けられた全身を、風と雲の自然をさすらう旅に出る心に、青葉の茂った陰やら苔を伝わり流れる清水やら何やら未だ不明の声と響きが、追究の連作は可能な夢幻泡影に共鳴ものの接線にて生湿らせてくれるんで、あそこやあそこから爛々たる眼火の顕微鏡的にも言い触らして威す生殺しの観察力さえ、これって空ある限りに雲の波路に一つになって深くて大きな真っ暗闇をより強固に画竜点睛し合う、哺乳類ならではのショック療法だ。なんぴともが理解できる、これこそ眼科な真心の色音だと烏の濡れ羽色に気弱でも催眠剤で、矛盾でも画定させた腹の中は違和感で強がれそう、な気が。
だが、葬儀社ものな敵も然る者。テントウムシやウスバカゲロウの大発生に近似して意識を取り仕切る。緊密さ百八十度転換して、潮の目つく補強さえ破裂させて魔境を浮かした無限大な天地創造説にどんどん調子に乗って膨れ上がりやがった。

ひらりしゃらり、全盲は手を動かして体全体に折れ込ませた幽かでも生命力で吹き込ませた夜風やら、瞼に命じたシャッター音の開け閉めも態とも飽きる刺激やらは感覚器官からの応答で捻り出せたんですが、ぼんやりと白ばみ、とろんと白ける。これはさて実録物へと霊妙な丑雨で滲ませつつ、肝を冷やしに躓かせるのは写実主義なのか、これぞ先回りして霊界を煽る蜘蛛の巣なのか、天眼からも見放された視力検査のゼロは欠如なき乱れ髪そぞろな嗚咽にて、ひたすら黙する。
はらはらと心動かし焦っても吊るし上げは改変してくれず、こまごまと縦横無尽に纏わりつかれる。身じろぎさえ及び難く絡み取られる。西郊から行き交う夕色にも先にから木訥な脂汗は、謎かけも寓話ものへのハミングで豪胆に宿主を食らう。







(【夏下冬上】のブログに09年11月20日投稿分を移しました)                                          

2011年1月15日土曜日

暗黒物質に 7

                 
迷い星にひとりぽっち、取り残される。
浮世の綱で結わえられる台詞に誇張への嘘も誠も洗浄された。
存在しているのやら生存しているのやら、あまりにも人間的な臭いも。
我を忘れ、何も構わず、ここ変わり果てた姿への一方の人の言う言葉すら悉くが、百八夜に定められた固定点での連続した観測で黒々と討ち平らげられ、居る所から地に下る話しぶりなき火付け役の見ず知らずの女性から自己保存さえ跡形もなく消されるは、一途に悲しそうな比重が境遇から状況から容姿を抑圧された希望が身体的な症状の形をとった、宇宙は夜泣き石そのものです。

墨色を見て取れない。
譲れない美徳に篤き目出度い雲なのか、手厚く労わってくれる山霧な寝息か、いずれとも裸虫を燻してくれず、青々した森と空の気配とが上から下への長さの何処かに隈取りめかしても矢配りで微視的には真実で在るはずを、そ知らぬ面相筆でも何よりなのに祓い清めてくれない、万物流転みさせる自然科学に采配を振られての怪談物なオドロ髪が闇夜となって嘲笑われたのち、風の音さえ吸収して盛んに茂る真っ暗闇は頭蓋骨をも折り畳もうとの厚顔さ執拗に付きまとい、生み出される。ここかしこは、この鼻先も眼鏡の位置に持ってきているには違いない解除の手の平までをも見せてくれない。







(【夏下冬上】のブログに09月11月09日に投稿していた分を移しました)
                                               

涅槃する 6

                  
溶岩の渓谷。並々ならぬ訳ありに高かったり低かったりした雨が止んでいる間の足下は慣習の打ち水、持ち寄るせせらぎは手水の情愛か、と眼の光で誓った御洒落な水に浮かぶ影を野辺にて思い育むとき、〝幻の滝〟だの〝幽霊橋〟だのと他愛無く名付け石した子孫から借り受けし生活空間を構築する渓谷美は、歴史に過ぎ去った噴火からの大様なる溶岩流が繊細な立ち居振る舞いで勤しんだ生き身は死に身の素晴らしきかな姿です。


立ち尽くす時の揺りかごにてずっとそのままの状態で年月を経るつもりの自分の地位から活動する上での立場の比翼塚は、マグマの心音を万に揉み解す現実味と一元化した画肌な、谷川の流れに抜け落ちる毛髪の実在を四季で弾かせつつ跳び箱の東屋にて心も和やかに遊び広げ、筒咲きの滑り台で楽しむ万物の過客にもてなされる住まい。象の卓袱台とか鰐の椅子では切に祈る冷たい静けさに抱擁され、それでいて天文に胎動を与えさせて浮き浮き、おとぎの国みたいな地球にて残り香のあんみつ姫と遠大な百八夜はどこまでも満ち溢れていく。


次第に通俗化した芳香になっていく風穴の風の山沢は、花畑の純真な円い塚から急勾配で落下しており、飽きる光に色づいた雨の辛口や飢える夜に降る雪の甘口とも縁を切って大輪のラムネ色が迸らずに間を透かす時期もあり、【ご近所の夜を切り裂く声】の面持ちな太陽の湯殿へと、しばしば避寒に訪れる無垢な鴨は〝ちろり〟とでも者の兆しを嗅ぐや否や、水面の鏡が色流しとも染め入れたバスタオルを幼い微熱で弾きたて、瞬く間に悲鳴を拭きこみながら飛び走っていた。
ここでは雌雄同体な同色にガンなどの色感が命脈を保つ先住の生命であって、侵略者のほうから協調してあげられる順応性が一つ屋根の生活なのに、追い払ってしまう。


何はなくとも過去の罪過を洗う。煙雨やら氷雪を統率した激流に撓みつつも火成岩の裂け目から成長する型に嵌まらない雑木は我武者羅に小枝を掲げ、吹抜き屋台の技法ばりな美妙な積み重なった緑の森の道に葉擦れの斜光で舞姫するエメラルド色の木漏れ日は、銀の矢衾に化身して骸の影を射中て、金碧に流転した水鏡の煌めきが沐浴の陰に差す。


否応なしに切り絵される稜線からの湧き水によろめく亀裂が源流となり、地形図も目溢す滝口の小袖を細工して霊長の往来など捻り出せないどころか青天も通わせない獣道の崖から深い野への岩場を無機質な半永久的土木建築ぶる橋の愚に夢がましく優越感めかし、谷陰を流れ流れ、自殺の名所が成り返った赤い阿蘇大橋から数鹿流(すがるが)の滝まで洗い清め、山沢のヒトになった素肌の本音を溜まり溜まった熱い汗にて葬送と、山ノ神の陰子は有明海に運んだ、
(しでのたおさ・ホトトギスの異称)



 闇裂くは死出の田長と音に聞き 嘆きの霧も正しく墜ちる







(【夏下冬上】のブログに09年11月02日に投稿していた分を移しました)
                                     

2011年1月14日金曜日

阿蘇五岳にあって 5

                      
熱い目頭の低さに全景を五つの色で魅せて中心点にと勢揃いする兆しは編み物に機織りにと急がしそうだ。
飲んだくれの居抜きには、ゆったり心長閑な東の天の果てからぴたり、弓と見間違えさせて射流す放物線で巻きついた羽翼の草千里ヶ浜へと“ぽろり”涙ぐませる心中立ての羅針盤が、近くに聳やかす〝熊本GC・湯の谷コース〟の、なだらかな三番ホール〝馬ヶ背〟までをも射抜いた。
最高峰は左翼の高岳で、熊本は肥後の国の一五九二(ヒゴクニ)メートル。岩波にリアス式海岸ってな根子岳は杵島岳に柔らに差し掛け、中岳火口丘の北東を呑み込んで傍らに寄る楢尾岳が我が山房に睨みを利かす。北方から西へ、右翼へと南の方角から連峰で小躍りした椀盛りのお気に入りにて風狂な男を囲わせ、俵山から夜峰山へと打ち入った露天風呂で湯煙りを立ち昇らせて烏帽子岳から海辺に辿り着くまで波乗りした草千里原の紅紫で言祝ぎに灰白を撒き散らすのは、噴火山の中岳を、おてんと様が差し昇る東の胸乳で抱き抱えているからだ。
中岳火口なのか海抜の楢尾なのか何れにて取り仕切るのかは、主我で差し分ける芯の種々やら、大分県の九重(くじゅう)山群に九州本土最高峰の中岳という同名だが1791メートルがあるからなのかで成り劣るが、その阿蘇五岳を、広義では六町村まぶす火口原な円形劇場の全身を地図には〝阿蘇〟と記し、九百見当への不揃いで季節に柔軟体操する翠巒の外輪へ世間の灯から登り行く九重町(ここのえ)からの山里も含ませて「阿蘇くじゅう国立公園」なる阿蘇地方と、和の観光課は呼び回る。
竜姿へ鎹の飛行船でしゃなりしゃなり、



 阿蘇山は五岳を指して地図に逝き 草千里を射す墓碑銘を産む







(【夏下冬上】のブログに09年10月30日に投稿していた分を移しました)
                                      

美しくも奇なり妹背の山は 4

美しくも白き白い羽が恋愛の神として恥ずかしくも忘れにくいキューピッドの感性的形象みたいに競作した蒼穹に女煌めかせて男さす、一双の妹背(いもせ)に見立て、墓碑銘を刻まれた比翼塚は御山にあった。

「妹に見せたかった 連れてきてあげたかった」
          「あなたは妹があんなに好きになった人なのよ」

「連れてきたよ」

碗の米塚でしっとり映えわたる北に赤松やら甘肌を懐だとした樹木が開け、南からは森林まで一直線に駆け上がる。西では広々と明かす放牧の草原に凹凸を可愛く組み合わせてゴルフ場を妻わせたのが、切り取った自然界だ。
列なる林野は擬古だつ浪漫に見誤まらせる地層を円周百二十八キロの山肌で晒す外輪山の尾根を直走るミルクロードへと迫り出す。

八重に樹が立ち栄え、羊へ草で座り込み、鱗ながらも帆船や鯨まで回遊する、大海原とは双子の天つ空であり、有り無し雲には大地も木の葉で波の形容。





(【夏下冬上】のブログに09年10月27日に投稿分を移しました)                                

奇遇 3

雲をつかみ
上に立ち
膝まで浸かりながら歩いた

ブロッケンの妖怪に心を洗われ
テニスコートの太陽柱に
自然に
慣れる

天使のささやきから
上下左右も不明で宇宙空間と化す暗黒世界に
無に
目覚める

七夕も一週間も立て続いての月の暈が
良き時間だけを思い起こさせる

忘却の曲線を遡る

習慣だった陰膳に
≪誰の≫
首を傾げつつも身体は動いていた

無意識の意識の間隔は炭に
「火が点き難いんです」
甘えてくれた内なる影を

逆さ富士の湖で写生する





(【夏下冬上】のブログに09年10月03日投稿分から移しました)

奇妙不可思議な事実は映画よりも奇なり 2 

じっとして乱れあわさない唇に姿おいしい比翼塚は、素焼きの土鍋で物語る花染めの円形劇場にあって、裏表に読めば大小で傷む高原や丘というより、うつらうつらした一山にて憩う椿葉を人けによそう。

南北に二十四キロと東西十六で神々が繰り回す手さばきで雲の峰を思い積むは夫婦円満の極み成す造形美術でした。
海原から一キロと少し盛り上がった噴火口が出迎える中腹のコンマ六の天空に伏し、彼方こなたは焙烙の縁から丹念に綺羅星を沿わせて翠眉な点描で切り立てた、虚飾の甍を眼下に望ませて西北西の房に啓示した黙々たる景である。





(【夏下冬上】のブログに09年09月15日投稿分から移しました)
                                   

御山 1

留まる霧雨は、焦がれ死ぬ伝説を鳴く舟の泣きで、天壌無窮を雪・月・花ばりに輪廻転生させた、変化する体温調節から托卵・育雛で・・・・・シュールな山・・・・・ホトトギスから郭公も、好一対に御山とした明晰な空間で等身大をえりださねばならない。
そうすれば、惜別も人間世の肉欲なんかで抉る濛昧なく、腹の虫は書き起こせるかも知れない。







(【夏下冬上】のブログに09年09月09日投稿分から移しました)
                   

2011年1月13日木曜日

祥月命日

(もう一つのブログ【夏下冬上】を移せるのなら、と試しました。
この記事は2009年08月15日に上記ブログに投稿済みでした。そのブログを完全に抹消したいので。。。)


今月二十四日は二十八歳で他界した淡交会の師範の祥月命日になります。   
乳がんで余命二週と宣告された連休明けから百八夜を戦い、二十五日夜明け前に旅立ちました。
福岡女学院から国際基督教大学の茶道部の学生さん達にも、こんな先輩が居たんだと一言二言で良いから話題にしてくれれば、うれしい。
なんたって八月、終戦の月、盆は何処の家庭にもある日本の大切な背景なんですから。
28年前になります。28年が経ちました。当年56歳となるはずでした。



遅々と出ず明日に昨日か梅雨の月



五月闇服脱ぎ滑し画づら閉ず



冬が良い僕に教える声が善い陰誘う夜の寒霞好い