2010年1月6日水曜日

概念【事実は映画よりも奇なり】

ここの大学病院の裏千家師範の病室には内鍵が取り付けられ、重い紫檀の衝立まで立っていく。
ドアが開けられても、まだ室内さえ見えない。
乳がんで余命2週の告知も二十七歳は延命薬で百八夜を戦ったが、キリスト教に未経験も未婚は義兄の医院が休診となる毎週末もで極悪非道な性暴力の餌食にされ続ける。
空梅雨で、窓は臭いを逃がす為に開け放たれていた。
〝助けを求める叫び〟は、研修医から看護師から掃除のおばさんに至るまで、聞かなかった人、知り得なかった職員は居ないそうだ。
が、思い込みから誰一人として助けに走らなかった。
わいせつ行為なのに末期がんゆえの〝声〟だと受け止めた過ち。密室の案件は虐待とも合わせて〝威厳と尊厳ある死〟の崇高な命題から、延命薬には本人の心を第一に尊重して欲しく、情熱から問題として提起させてくださいませ。

意味ある死にしなければならぬ責務から私には余生で課せられております。見苦しき箇所も入れなければ読み取れない文脈になることを、ご了承ください。               
ここからの投稿は2009年の7月にパソコンを始めるまでの、過去千通以上にもなるであろう捜査機関から関係先に対して郵送した内容から、ブログでの投稿には使えない箇所は削除したり書き直した文章になります。




1994年6月28日

各位殿


咲いて落ちる二つの命な花椿で殺された病室の事件が、なぜ表に出ず、なぜ全国を揺さ振る数件もの殺人事件にまで拡大したのでしょうか。
これらが何故、今なお藪の中なんでしょうか。

医の人脈を世間を警察を、私が依頼した弁護士を寝返らせ、裏の組織まで使用して私を謀殺しょうとの全てに要石なる医者の家庭内の動機から、関係先の欲得の成長過程が全国へと飛び、火種を未だに消そうとしない現状を、問題外とか対岸の火事めかされて安易に切り捨てないでいただきたいのです。
文中の一行が行間が、それぞれに介護・医療・終末期・病室の体制に個々に生かされ、誰にも訪れる死に活きれば、こんなにありがたい【相浦三郎先生を想う】色に加えた〝貨幣経済の憂い〟はございません。


継続できる力こそ財産。

茶は家族にて・・・。




【相浦三郎先生を想う】は医界で出版してくださった追悼本の表題であり、私の持つブログの存在は、追悼本について師範どころか今は亡き姉とも生前に交わしていた会話から誕生の約束した意志です。










2010年1月1日金曜日

地衣に咲き風擦り抜けて去年を斬れ

明けましておめでとうございます。。本年もよろしくお願いします。




師範や先生方、亡父や亡くなられたばかりの伯父の夢を見る。華やかなパーティに呼ばれていた私です。同じテーブルに座って居られるのだが遠くて、彼女や父親は黙って私を見ていただけなのに、伯父や何人かからは名前で呼ばれていた。
光の塊だけで、誰も、顔や姿がはっきりしているのではなかった。そうではあるが一人だけ、彼女だけは、顔だけが、ますます、ぼんやり、夏虫の色で遠ざかるのです。
私が駆け出しても、まるで〝サモトラケのニケ〟みたいに。でも倶会一処でした。
約束の時より遅れた私を、席に座っておられた方々は笑みを浮かべた優しさで、手まで振って迎えてくれました。伯父に至っては立ち上がって、大きく手招きまでしてくれている。
呼ばれているのに何人かの方は誰かも分からなかったのに。
亡くなられている大切な方々ばかりが集まられ、呼ばれている夢なんて始めて経験する私です。色つきの夢さえ記憶に無いのに。
背景の分析が生まれる。問いの答えは元旦にまだ見つからない。






緑濃く 淡くは木々の縦糸

浮遊の雲霧は 青紫の横糸

血涙の 哀しい伝達が

否 懺悔だけの老いが故

人生において折々の 教えとして

傍線を胸に 刺繍しながら

片色と 織り上げてくれる

遺品として 確かに受け継いでおります





今年こそ。
(タイトルの去年は“こぞ”と読みます)