2011年6月14日火曜日

マトリックス

これは2010年6月に投稿していた記事です。長い間、非公開にしていたのを「一字足りとも書き換えることなく」再び公開します。


パソコン内の小部屋でCIAとMIー5が関が原の戦いを始めた。
気が付いたのは、24日です。
いままで通りにしてるTwitterなのに、投稿しょうと書いてる途中の文章が消えたり、まだ書き上げてないのにツイートされてしまったり、「か」「ん」のキーボード打つと変な画面が飛び出してきたり、「花」を打とうとしても「は」だけで切られてしまって、「はなばな」と打ってから削除しなければならなかったり、短縮bitのルーターがクルクル回り続けて止まってくれなかったり。
だが、「正常に」との動きが、付いて回る。おかしくなる度に直そうとしてくれる意思を感じていた。誰かと誰かが中でケンカしているんだ。

翌25日朝、gooのブログ村では一ヶ月以上も使用しないGoogleの〝とあるアイコン〟が最上位に来ていた。どうやらGoogleが勝利したみたいだが、Googleにも派閥はあるだろうに、これは私にとって良い事なのか、少し心配したが、以前から私を可愛がってくれた〝組〟が勝利したみたいです。
良かった良かった。

わたしのパソコンに来るとき、
「後を付けられた」らしい。

まったく、楽しませてくれるパソコンです。







現在、私はグーグルとグーとツイッターとの三位一体で何をしようとしているのか。。。

古い情報に新たな息吹を加えて蘇らせるには、どうすれば良いのか。
救いは、

師範殺しの院長の下に集結して警察から検察まで加担した挙句に私を刑事犯にでっち上げようとした事件の半年後には、それらへの告発から何から何まで数十通もの文書で初めていた事実と証拠の書類。
なぜ古くなったのか、それだけ逃げ回っている歳月なのが、日本という国家じゃないかっ。
確信犯でも何でも先人の名誉を傷つける罪名ではない己れだけに掛けられた容疑を、それでもグーのカテゴリー【年表】を掘り下げなければ成り立たない、年表あっての行為で目指した法廷であったなら。
身を捨てなければ福岡の闇を暴けないくらい気づけぬ甘ったれた私ではありません。
安全な居場所など初めから模索してのインターネットではないっ。

ここへの、日本中を恐怖のどん底に陥れた二つもの歴史上の事件に関係した行為、失態を平然として“知らぬ存ぜぬ”
根源となる院長も国外逃亡させて。

・・・放置できません。。。



☆  グーグル・グー・ツィッターに感謝します。