2010年5月17日月曜日

それぞれのテーブルマナー 「撮影禁止に紅組のTL」

                       
形容は内実が自然に求めた欲望。

体内を燃やす継続の力において人様に自身に利口ぶると、

注文つけた願望に振り回されて苛立ち、

有りがちな光景での利に易しげな安さを、

個に心優しい人として履き違え易い。

空な子供の根問いを蔑ろにする大人の都合で気色付く。



前触れもなく出現する試練の秋は、

季節外れの草花も越冬させた真実を存在感で溢れる底力と軽妙さ忘れず、

発揮したい。

嫌な枝振りや病葉でこそ価値を観ておきたいが。



旬には自分を信じ通せた無意識の綱引きに一目置け、

微塵切りした生身で習熟したい。

本音も無心に聖戦めかす情熱が、

豊かな信念を創造したの、

と。






                             

2010年3月25日木曜日

それぞれのテーブルマナー 「月命日」

仕事も私生活も順風満帆に後押しする太陽が眠りにつき、深み行く春は覚めた月にて練る必要がって風韻ばむ朧夜の一、


「あと二週間の命」


咲いて落ちる二つもの命の花椿、侘助と寂びる。
百八つもの夜を日に継いで、最年少で裏千家も師範の一輪は新天地に召されます。
ここからの九年、カネは不幸を退けるも金魚の糞な結果モノだと街の灯から離れ、南阿蘇の夏山に丘を比翼連理で購入しての粗末なプレハブも八畳一間は、弔辞めくも死に体な聞き上手に憧れちまった、影と陰の読み方かな。


冬が良い僕に教える肌が善い影誘う夜の陰は好き好き




雪の命を感じさせる円らの生、

草の脈は見れた銀の熱、

雲の塊も聞く霧の花、

天の身体が落ちる音の箱、

色んな雨の上がり方は衣替えも色々に裏表で扱う、

季は五器の円形闘技場に遊んだ。



2010年3月12日金曜日

賑やかな小鳥たち

手酌するも点心(茶菓子)の庭先は、とろり微睡(まどろむ)んでしまう何物も存在しない世界において、光まみれの玩具箱から一掴みに取り出されるも見切り品ではなく、重んじて組み立てられた纏まりです。お手製の長椅子に自然死するも陽気な関係が、青田買いした原っぱとの仲でした。

やけに耳元が賑やかなせいで、ぬかるむ眠気から寛ぎ(くつろぐ)出していた分別は、今はもう出色の出来映え者に呼び戻される。
もしや、目ざとさに素直に、ゆっくりとですが大胆不敵にも前髪の女々しさ垂らしたら、

恍惚感の成した業か一線を越え、
ピョコピョコ、境界線をノックしている。ピコピコ・・・

いかにも牧歌的に、抒情的な比翼そのものずばりって戯れ合う野の鳥が、ここそこのサクラからスミレの花を芽生えさせた手向け草も兼ねる塩梅で近づいて来てて、目覚まし草(茶、タバコの異称)へと、

「ジャンケンポン」

・・・そっ、と・・・

何もしないからと食指(人差し指)の気を・
御ませな女の子は汝鳥で謙遜と服従の二足歩行の胸に触れんばかりに・
公然の秘密にも痴漢めかすタッチに動かしてったら・・・

・・・チョコ。

おちゃっぴいにも乗り移り、

・・・・・・・・・・。

・・・・・、ややあって、火遊びから素振り改めて下り立つ気配は深まり、ピョンコは、

ピコピコ、ピコピコ、ピコピコ、ピコピコ、

待ち草臥れたでしょ〝ごめんなさい。意地っ張りな我鳥になっていました〟と脇目も振らず、

「あなたでなくっちゃ、ダメ」

弱いモンでも弱虫ではない身空で愛に愛持つ夫婦、よりいっそうの体温に盛んに声を立てて騒ぐ。
よく喋り、よく笑い、より陽気に。

赤い禁断の果実めかせて見たのか、人差し指の肌色に形容するなりだったんでしょうか、ほんのり甘くまったりとY染色体に垂れ目で温まった思いの色のむっくりと弾みだす心は力学的な三々九度めき、とろとろに合えたのです。
約束の明日も晴れ着にて外出してくるみたいな爽快さ、




     仮の宿果無立つ四肢咲き狂い酔生夢死に乱れ散る四事








                               

2010年2月28日日曜日

ダイヤモンド・ダストは音色に抱かれてこその素晴らしさ

今夜から花にも例えて良い雪、らしい。
見た目には美しくとも疑惑を感じざるを得ないほどの心地よさは、
威力を振りかざす自然の物に更なる勢いを与えてしまう。
信じられない体験には、
自分の心の更に強き持ちようが求められます。


自身の下手な認識へと、
磨く美学で秘密を保ちつつ・・・力み返る。
これが、ダストの色音・・・
・・・花の色、華ある声。

これから雪が舞うも、
まだ天気の良い昼間の太陽には空気中の凍った水蒸気に光、当たり、
キラキラ、降ってきます。
これがダイヤモンド・ダストなんですが、
浮かんでいるように見えます。

キレイです。
が、それだけのもの。
きれいに〝キレイな〟化粧された近寄りがたい女性とも似てくる。

いつかNHKの番組で、
「天使のささやき」
とも呼ばれる音色を録音したって触れ込みがあったんで観たんですが、


・・・・・?・・・・・


さっぱり解んなかった。。。


?・・・・・


なぁんにも・・・聞こえない。
あれって、どんなに録音技術が進歩したって・・・無理、だと思う。
ま、作るってレベルになってしまうんじゃないかと、私は感じます。
というのも、あれは耳で聞ける類の、音じゃないから。

身体で聞く、感じる、触れる、現象だったからです。

わたしの時は、
衣服の中で口籠もる自分自身の命さえ、邪魔でした。
そこまでの静けさが求められる、って現実があるのです。
経験されたい方、時と場所に向かわれる方に一言、

お腹一杯にならないで、空腹が良い。
仲間と一緒だったら、離れて。
ダイヤモンド・ダストが見られたら服の、ざわめきも消して。
同じく枯葉など音を立てる地面には、立たないで。
木々に小枝に葉っぱからも、離れて。
そして騒々しい心構えで、待たないで。

素晴らしい・凄い体験だった。
凍え果てるも贅沢で乾杯できたボディの音叉、
あなたの所持品になる、


「・・・・・・・・・・
・・・・・」




普通、音には音源というものがあると思う。わたしは素人ですが。
ところが、このダイヤモンド・ダストでは方向が、ない。
つまり、あなた自体が音源の中に取り込まれている、ってこと。
四次元の世界とでも言ったら良いんでしょうか。
取り込まれた挙句、あなたが生きている証そのものが、


天使のささやきと溶け合う。。。





2010年2月27日土曜日

雪の結晶の傍らで奇跡の夏下冬上に抱かれる

鈍く白ばむ眉がきゅうきゅうとするも冴え凍り一本一本垂れ下がってくる。

立ち昇らないで湯の面にまつわり伝わってくる冴えの湯気が私で凍りつく・
・・・つらら?・・・つまようじ、・・・みたい・
なんとなく、頭を手の平で、軽く、押さえてみた。
パリパリパリッ、パリッ、

長崎皿うどん?・・・だっけ。
あの、とろみ乗っかった固い揚げ麺の中華・・・
あれを箸で押さえつけた感触に音、まんま、違う形で蘇る。


ここは露天風呂。
脱衣所からわずか10メートルくらい石段を降りた所の岩風呂なんですが・
これが、慌てて飛び込めない。
転びの露骨な格好が宙に逞しく浮かぶ。
とてもじやないが、おっかなびっくり・・・
・・・これこそ恥ずかしい、パントマイムである。
今しがた瞬間芸で服を剥ぎ取った気合は何処へやら、
凍った紫煙に肺ん中を洗われつつ・・・
・・・身も心も集中させ、
自分の中で戦わせ。。。

天ぷらに揚げる髪型から、寄り目での・つらら・・・
絶え間なく無邪気な子供の頃に帰れての無心で、遊んでしまう。
私の眉毛が今ところどころ禿げるも群れ立ってんのは、このせいだ。

なんて正に頭寒足熱の心地よさ、
ぬけぬけと昔話に散策する。


自然との一体化を目指して置いた小屋を数日、留守にしていた。
帰る前にと、一風呂、浴びたんです。
10年ぶりだか20年ぶりだかの寒波に襲われた日本列島でした。
標高700前後でも、わたしには御山。





小屋の中は外気より凍りついていた。
なのにファンヒーター、ポンで良いのに、
なぜか・・・できなかった。

→ビール→炭→囲炉裏→かっぽ酒→なにか焼こう→

身体は芯から温まってるから遊び心なんて余裕も持てたんです。

動き出したら、
これ見よがしの窓ガラスに押される雪印な六つの花に気が付く。
こんなにも雪の結晶が大っきいなんて思ってもみなかった。
それでもまだまだ規則正しくも艶やかに育っていく。
ひとつひとつ、まったく異なる姿かたちで咲き誇る。
・・・ピッピッピッ・・・・・ピッピッピッ・・・
音はしないが・・・そう鳴き合わせている。

互いに舐め回すように見合う・・・
しらばっくれてるが私の体温から呼吸さえ・邪魔でしょう。


・・・・・、


そうそう炭だ。
そこまでまったり見とれているほどの温かさは独り身でもあるし、ない。
何時ものように、ずんぐりむっくりした安くて脆いがゆえに火付き良い炭、
穴の空いた切り口をガスコンロの金網の上に並べ立て、点火した。

待っている間、囲炉裏に備長炭も用意する。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・・ん・・・・・?・・・・・ん・?
コンロの炭から赤い火が見えない・・・なんで?
待っても待っても・・・知らん振り・している。

明かりのせいで見えないだけ。
・分かりづらいんだ、と許す。
手馴れた捌きで五徳の間に収めた。
上に、備長を、すっきりしゃんと乗っけた。









おかしい。おかしすぎ。
ここまできても、なんにも・・・変わんない。
だいたい、火が点いているのかどうかさえも・・・
さっばり、わからん。
畳みに頬を摺り寄せんばかりにして、よくよく見ると・・・

五徳が置かれた灰を舐め、
上に置いた備長を嘲笑い、
湖の水面に立つ朝霧みたいな薄紫色の紋様、
水に見立てた灰に描いている。

びっくり仰天して見とれている・・・と、

だんだん地吹雪みたいな火炎になってくる。
んで、慌てて、冷たい備長の上にと、乗せ変えたら・・・
・・・炎の道ができたのか、
打ち上げ花火が成功したかの勢い、
炭に火の少なさ小ささの割には大きな音を立て、
下へと噴き出す火柱・

見る見るうちにスペースシャトルみたいに凄い音、
噴射になる。


・・・・・、


・・・そして・・・夏の、
普段の囲炉裏になってくれるのです。
信じられない自然現象でした。

これが夏下冬上の、姿です。

この時、
日本酒はシャーベットになって瓶から出てきてくれず、
食べられなかった。
これが悔やまれて悔やまれてなりません。
いったいどんな味だったんでしょうね。
ちなみに剣菱でした。





成熟していくにつれて親しげに手ほどきする、
うっとり見惚れてしまった白雪の語る口ぶり、
一滴も余分にしゃがみ込まず、
心得と旅立っていたのは、

・・・雪の結晶・







2010年2月26日金曜日

御山に比翼塚の師範と、わたし

雲をつかみ
上に立ち
膝まで浸かりながら
歩いた

雲に指を入れると
まるで
机の陰に隠れたよう

ただ
よくよく目を凝らすと
鳴門の渦潮みたいなのが
小さいのがたくさん
たくさん小さいのが手を取り巻き
渦巻いている

ブロッケンの妖怪にも
こころ
洗われる

テニス・コートの太陽柱にも
自然に
慣れる

天使のささやき
上下左右も不明
宇宙空間と化す暗黒世界に

目覚める

七夕
一週間も立て続いてくれた
月の暈
良き時間だけを
思い起こさせる

忘却の曲線
遡る

習慣だった陰膳に
『誰の』
首を傾げつつも
身体は動いていた

無意識の意識の間隔
炭に
「火が点きにくいんです」
甘えてくれた内なる影

逆さ富士の湖で写生する







                            

2010年1月6日水曜日

概念【事実は映画よりも奇なり】

ここの大学病院の裏千家師範の病室には内鍵が取り付けられ、重い紫檀の衝立まで立っていく。
ドアが開けられても、まだ室内さえ見えない。
乳がんで余命2週の告知も二十七歳は延命薬で百八夜を戦ったが、キリスト教に未経験も未婚は義兄の医院が休診となる毎週末もで極悪非道な性暴力の餌食にされ続ける。
空梅雨で、窓は臭いを逃がす為に開け放たれていた。
〝助けを求める叫び〟は、研修医から看護師から掃除のおばさんに至るまで、聞かなかった人、知り得なかった職員は居ないそうだ。
が、思い込みから誰一人として助けに走らなかった。
わいせつ行為なのに末期がんゆえの〝声〟だと受け止めた過ち。密室の案件は虐待とも合わせて〝威厳と尊厳ある死〟の崇高な命題から、延命薬には本人の心を第一に尊重して欲しく、情熱から問題として提起させてくださいませ。

意味ある死にしなければならぬ責務から私には余生で課せられております。見苦しき箇所も入れなければ読み取れない文脈になることを、ご了承ください。               
ここからの投稿は2009年の7月にパソコンを始めるまでの、過去千通以上にもなるであろう捜査機関から関係先に対して郵送した内容から、ブログでの投稿には使えない箇所は削除したり書き直した文章になります。




1994年6月28日

各位殿


咲いて落ちる二つの命な花椿で殺された病室の事件が、なぜ表に出ず、なぜ全国を揺さ振る数件もの殺人事件にまで拡大したのでしょうか。
これらが何故、今なお藪の中なんでしょうか。

医の人脈を世間を警察を、私が依頼した弁護士を寝返らせ、裏の組織まで使用して私を謀殺しょうとの全てに要石なる医者の家庭内の動機から、関係先の欲得の成長過程が全国へと飛び、火種を未だに消そうとしない現状を、問題外とか対岸の火事めかされて安易に切り捨てないでいただきたいのです。
文中の一行が行間が、それぞれに介護・医療・終末期・病室の体制に個々に生かされ、誰にも訪れる死に活きれば、こんなにありがたい【相浦三郎先生を想う】色に加えた〝貨幣経済の憂い〟はございません。


継続できる力こそ財産。

茶は家族にて・・・。




【相浦三郎先生を想う】は医界で出版してくださった追悼本の表題であり、私の持つブログの存在は、追悼本について師範どころか今は亡き姉とも生前に交わしていた会話から誕生の約束した意志です。










2010年1月1日金曜日

地衣に咲き風擦り抜けて去年を斬れ

明けましておめでとうございます。。本年もよろしくお願いします。




師範や先生方、亡父や亡くなられたばかりの伯父の夢を見る。華やかなパーティに呼ばれていた私です。同じテーブルに座って居られるのだが遠くて、彼女や父親は黙って私を見ていただけなのに、伯父や何人かからは名前で呼ばれていた。
光の塊だけで、誰も、顔や姿がはっきりしているのではなかった。そうではあるが一人だけ、彼女だけは、顔だけが、ますます、ぼんやり、夏虫の色で遠ざかるのです。
私が駆け出しても、まるで〝サモトラケのニケ〟みたいに。でも倶会一処でした。
約束の時より遅れた私を、席に座っておられた方々は笑みを浮かべた優しさで、手まで振って迎えてくれました。伯父に至っては立ち上がって、大きく手招きまでしてくれている。
呼ばれているのに何人かの方は誰かも分からなかったのに。
亡くなられている大切な方々ばかりが集まられ、呼ばれている夢なんて始めて経験する私です。色つきの夢さえ記憶に無いのに。
背景の分析が生まれる。問いの答えは元旦にまだ見つからない。






緑濃く 淡くは木々の縦糸

浮遊の雲霧は 青紫の横糸

血涙の 哀しい伝達が

否 懺悔だけの老いが故

人生において折々の 教えとして

傍線を胸に 刺繍しながら

片色と 織り上げてくれる

遺品として 確かに受け継いでおります





今年こそ。
(タイトルの去年は“こぞ”と読みます)