仕事が順調であればあるほど、何処かに飢える。
埋め合わせてくれる何かを探す。
解放感だと誤魔化して、遊びに走るのです。
走れば走るほどに渇くのに、それでも走らねばならない。
中洲に女、車、モノ、カネを求めるほど飢えは激しくなってった。
喘いでいた。
こんな時、飢餓感の一切合財を”無”にしてくれたのが、
<この娘の茶>だったんだ。
<この娘の茶>だったんだ。
「お茶」と言った私に、
「むやみに”お”を付けてはいけません」と、師範の姉は教えてくれました。
「むやみに”お”を付けてはいけません」と、師範の姉は教えてくれました。
これ以来、私は、
<お、を付けない>
茶について私が書くのは、この二つしかありません。
考えない。
裏千家というより、<師範>を冒涜するに他ならない、と感じるから。
裏千家に関する記述は、これで終わりです。
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