2011年5月24日火曜日

八王子抗争における本当の「手打ち」とは

5月12日、発売されたばかりのシーマの白が山小屋前の登山道に上りで止まった。
わたしは“無事だった”と歩み寄る。
彼は、、、「ソアラが良かった」
私が抗争に気づいているのか探りを入れてくるが知らない振りの私に、
「そうだろうな」 つぶやいた。
知っていたら平然としてはいられないだろうと自分を納得させる。そして、
「T は来ているか?」 
「まったく音沙汰ありません」 正直に答える私。
彼は“”行方が解らない”という風な強いニュアンスで呟いたのち、一息ついて、
「こんなところによく一人で住んでいられるなぁ」
山小屋を見上げながらつくづくと感心している。

春闌く御山、良いお天気でした。
ただただ笑っていられた。
「ゴルフに来た」と言ってあったが、この日の本当の赴きの訳を知るのは三年後、1993年11月24日でした。
“手打ちで・・・・・を持参されたとの事”
彼に会うのも、声も、それっきり。。。

そもそも院長から境界杭から巻き込まれた戦争に抗争であって、裏社会の人達たる関係者とは、この土地と、建つ山小屋周辺も村内で捕まっての接触しかない私の人生です。









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